インドの人たちと互いに分かり合い、そして助け合うために
●NPO法人霧が丘ぷらっとほーむ
●代表理事 根岸あすみさん/事務局長 野場孝司さん
(インタビュー実施日:2023年2月22日)
霧が丘ぷらっとほーむHP
https://www.kirigaokaplatform.com/
【団体概要】
霧が丘ぷらっとほーむでは、かながわ民際協力基金53期(2021年度/霧が丘インターナショナル・コミュニティとして助成)、54期(2022年度)の助成を受けて「日本語教室カフェ事業」を実施しています。気軽に日本語が学べる教室をオープンして、そこを通じて外国人の悩みを聞き相談にのる場を地域につくる活動に取り組んでいます。
代表の根岸さん、事務局長の野場さんに、霧が丘団地に住むインド人のみなさんとどのように向き合ってきたのか、そして日本人、インド人の人たちが交流する地域の拠点としてオープンさせたコミュニティ・カフェ「ぷらっとkificafe」での活動などについて伺いました。
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代表理事 根岸あすみ さん(右)
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事務局長 野場 孝司 さん(左)
活動にあたっては、街の「大変」が「楽しみ」に変わる連鎖が広がることを大切にしているそうですね(※1)。具体的に街の「大変」とはどのようなものがあるのでしょうか?
根岸:
霧が丘には、インドの方が800人ほど住んでいます。野場さんと私はもともとKIC(霧が丘インターナショナル・コミュニティ)という団体の活動として、インドの方たちと交流してきました。ただ一方で、「匂い」や「騒音」、「ごみの捨て方」などについての苦情が出ていることもあります。私たちもそれがインドの人によるものだと決めつけることはありませんが、「知らない」ことがトラブルの根本にあるなと感じています。
また、インドの方の多くが住んでいるのがUR団地の集合住宅。日本人同志でもトラブルがある場所です。住まい方の不満が伝えられない住民のストレスが溜まっていって、コミュニケーションすらとれない中で10年以上の歳月が経っている。それが「街」の「大変」な部分ですね。
「大変」のもう一つは、少子化に加えて、子どもが育つ地域の繋がりが薄くなっていることです。私は霧が丘で育ちましたが、当時3つあった小学校が今は1つに統合されていて、学童保育も2年前に閉鎖されています。実は霧が丘ぷらっとほーむのコミュニティ・カフェ「ぷらっとkificafe」(下段コラム参照)は、この学童の跡地になります。
老々介護や一人暮らしをされている高齢者の孤立の問題も、どの地域にもある課題だと思いますが、一方で子育て世帯の孤立も懸念されている中で、「つながり」を通して助け合っていくことができれば、そしてその「つながり方」もなにか楽しいことをきっかけにしたい、と思っていました。
このカフェで、例えば「インドのスパイス料理」をみんなで作るというイベントなどを開催して、それをきかっけに、上の階に住んでいるインドの人と繋がれるかもしれない。「スパイス料理」を教えてもらいながら「実はあなたの家の足音がちょっとうるさいと思っていたのよ」と直接、伝えたり、「私の家の上に住んでいるインドの人の足音がうるさいんだけど、私は言葉がわかりませんから、あなたから伝えてくれませんか?」ということをインドの友達を作って伝えてもらうといった対話ができるようになれば、と思っています。
※1 内閣府NPO法人ポータルサイトでは団体設立の目的が「霧が丘及び周辺地域の市民に対して、街の「大変」が「楽しみ」に変わる連鎖が広がることを大切に、地域に住む、様々なコミュニティの人が繋がり・楽しみ・小さな困った事を助け合い、学び合い、地域みんなで解決できる仕組みをつくることで、人の温かさが感じられる幸せな地域づくりの実現に寄与すること」となっている。
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ぷらっとkificafeの外観
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カフェ店内
霧が丘ではいつ頃からインドの方の人口(※2)が増加し始めたのでしょう?
野場:
横浜市の施策で2009年4月にインドのインターナショナルスクール「インディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパン横浜(※3)」が開校されたことが大きな要因だと思います。開校して14年ほどになりますが、8年ほど前から街の中でインドの方を見かけるのが増えてきたと実感できるようになりました。ただ、まだまだ日本人とインドの方が接する機会が少なく、お互いの事を知り、分かり合い、交流するという段階にはなっていない状況かと思います。
霧が丘に住んでいるインド人の方々は家族で住む方が多いのですが、男性はグローバルIT企業に勤務されており社会とのつながりがあるのでコミュニケーションもとれるのですが、一方で女性は言葉の問題もあり、日本人社会との関係が希薄です。すでに彼ら自身のインド人コミュニティができていて、何か困ったことがあってもそのコミュニティで解決できてしまうこともあり特に困らないのです。なので、霧が丘に以前からあるコミュニティとのつながりを持つ機会がありませんでした。
※2 横浜市の人口動態調査によると、横浜市緑区に住む外国人のトップはインド人1,355人で2位の中国人1,023人より3割ほど多い(2023年1月)。緑区に住むインド人の6割(800人)が霧が丘に住んでいることになる。
※3 横浜市緑区霧が丘にある「インディア・インターナショナルスクール・イン・ジャパン横浜」は横浜市の政策として、インドのグローバルIT企業誘致のために、2009年4月インド人のインターナショナルスクールを児童減少で廃校になった地元小学校の跡地に開校した。
インド人の方々は地域社会とのコミュニケーションを積極的にとろうという意識はあるのでしょうか? 例えば妊娠・出産や未就学児の予防接種、そして小学校入学時などで行政とのやりとりが必要となるでしょうが、そうした場合に日本人の手助けがあった方がより安心するかと思いますがいかがでしょう?
野場:
二極化しているかとは思うのですが、「インド人コミュニティの中で過ごせれば、殆どのことに困らない」と思われている方がいる一方で、せっかく日本に来たので「日本のコミュニティにつながることで、より充実した生活を送りたい」という方もいらっしゃるかのではないかと思われます。インドのインターナショナルスクールに子どもを通わせている方々は比較的困らないのだと思いますが、日本の公立小学校に入学させる方も最近、増えてきており、その就学の文書の手続きなどでは困ることもあるでしょうし、実際に相談を受けてもいます。
根岸:
2009年のインターナショナルスクール開校以来、インドの方が増え始めましたが、当初は、たいていの方が3~5年ほど日本に暮らしてインドに帰るという状況でした。それが徐々に変わってきて、一部の方は日本に長く住む選択をするようになっています。そのせいなのか、日本の公立小学校に子どもを通わせる家庭もかなり増えてきており、おそらく1学年に3、4人いるような状況になってきているかと思います。
ご両親のどちらかが日本語がわかるケースもあるですが、学校からのプリントは数が多く、どのプリントを保管しておくのか、あるいは回答しないといけないものなのかがわからない。これは日本人の親でも苦労しますよね。またPTAの仕組みなどもわかりづらい、といったような困りごともあります。
ちなみに私たちはコミュニケーションのツールとしてLINEを活用していますが、そのLINEグループに、小学1年生や2年生のお母さんが入っていて、そこにインドのお母さんも日本のお母さんもいます。なので、例えば1年生の子どものインドのお母さんから「今日このプリントを学校からもらったんですが、明日は何をもっていけばいいんですか?」と問合せが入ると、同じ1年生の日本のお母さんが「これは、こうですよ」と日本語で返事をして、それがLINEの英語変換機能によって英語で届くようになっています。
このようなLINEグループがあることで「これはこういうことだと思うよ」、「うちは明日このストローをもっていくよ」というやり取りが生まれているので、そのうち、例えば「明日、インドのお祭りだから家にご飯を食べにきませんか」のようなインドの文化を体感できる機会ができて、そこで交流が生まれるかもしれない。また授業参観に参加しても、これまでは「インドのお母さんがいるな」としか思っていなかったのが、LINEでいろいろとやり取りをしていれば、会ったときにもそこで自然と会話が生まれやすくなりますよね。そういうつながりが私たちのLINEグループで生まれつつあるのかなと思います。
当初は「霧が丘インターナショナルコミュティ(KIC)」という団体で活動されていて、それがベースとなって、現在の「霧が丘ぷらっとほーむ」に発展していったようですが、当時から根岸さんと野場さんは一緒に活動されていたのですか?
根岸:
そうです。野場さんがKICを立ち上げたのが2016年ですが、私は2019年くらいから一緒に活動しています。私自身は「子育て世代」ということもあって、「インドの子どもと日本の子どもがつながったらいいな」「インドのお母さんと日本のお母さんで井戸端会議ができたらいいな」という思いで活動していました。
一方でコロナ感染症が拡大する時期と重なるのですが、「子育て世代がつながることがこの地域では少ないんだな」と感じて「まちプラス」という任意団体を立ち上げて、その活動にも並行して取り組んでいました。KICとまちプラスと、もう一つ「福祉のまち霧が丘」というシニアの居場所づくりをしている団体が入って、3つの団体で横浜市のヨコハマ市民まち普請事業にエントリーしたのが、この「霧が丘ぷらっとほーむ」の出発点でした。
3つの団体が合流する前から継続しているのは、カレーを食べるイベントなど多文化交流型のものや、日本語学習などの活動です。今回、民際協力基金を活用して開催した「日本語カフェ」は、インドのお母さんたちを対象にして、コミュニケーションをとりながら日本語を学ぶという企画です。この他にもごみの捨て方について解説する「ごみセミナー」も開催しました。
私たちの団体は「外国人」「子ども」「シニア」の3つを柱にして活動していますが、それはメンバーそれぞれの当事者意識にもとづいたものです。各メンバーがそれぞれの柱の分野について、本当に困っているところを知っている一方で、例えばシニアの方からは子育て世代の本当の課題は実は見えにくかったりしています。ただ、この常設のコミュニティ・カフェができたことによって、これら3つの柱が重なって、それぞれの当事者の方々が出会うきかっけにもなっています。
お互いに抱えている課題が違うので、その違いを理解する場所にもなる、そんな効果がこのカフェにはあるかなと思っています。イベントだけだとどうしても気持ちが前向きの人しか参加できない面がありますが、このカフェがあることで、ふらっと立ち寄ることをきっかけに一歩踏み出すこともできます。ここで日本語教室をやっていると、「私も昔、英語が喋れたからちょっと役に立てるかもしれない」という思いで、お客さん経由で「日本語学習」に来てくださる方などもおり、今は地域のタレント発掘の場にもなっているのかも、という気がしています。
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カフェ店内の様子
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カフェ店内の様子
2016年の活動開始から今までの中で、特に印象に残っているできごとなどがあれば教えてください。
根岸:
カフェがオープンした日に来て下さったお客様が「ここで80代の母が何かお手伝いできませんか?」と声をかけてくれました。地方からこちらに住む娘さんの家に来たばかりの方で、娘さんは日中働いているので「家で一人でずっといるのも・・・」というお気持ちと、こちらに知り合いが少ないお母さまを想ってのことだと思います。次の週から朝の清掃メインのスタッフとして大活躍してくれています。そうするうちに同じ清掃メンバーと掃除の後、コーヒーを飲んで帰ったりするなど、小さなコミュニティができました。
今回の民際協力基金の助成対象期間は2021年10月から2022年9月まででしたが、この時期は新型コロナ感染拡大の5波、6波にあたります。感染状況が一旦、ある程度落ち着いていたのが再度、拡大して、対面ではできなくなってしまったこともあるかと思います。それをどのように乗り越えてきましたか?
野場:
民際協力基金の助成事業として日本語カフェをやろうということで申請しましたが、コロナの感染拡大によってオンラインでしか始められなくて、日本語で話し合うことはできても何かオンラインだけだと「人の温かさ」も伝わりづらく、「コミュニケーションのつながりがそこまで深いものにならない」「早く対面で会ってお話したい」と思っていました。
ようやくオンラインでの日本語カフェに慣れ始めたころに、感染状況が落ち着いて、対面式に変えていこうということになりましたが、今度はオンラインに慣れてしまったことと、ちょっと遠くに住んでいる人もいたということもあって、逆に、集まっての開催がしづらい状況になり、コロナ下での運営の難しさも感じたりしました。コロナ対策の備品なども用意して何とか対面での日本語カフェの開催ができる準備を整えました。そうこうしているうちに、このコミュニティ・カフェがオープンして再び集まることができ、今は、温かい雰囲気の中での活動ができるようになった、と感じています。
民際協力基金に申請する前から、日本語教室の活動はしていたのですが、このコミュティカフェができる前でしたので、特定の時間で定期的に「そこにいったら相談ができるよ」などといった、日本語を習うだけではない居場所を設ける、という活動はまだ当時できていませんでした。民際協力基金で助成を受けることができればそうした定期開催できる場所を借りることもできるのではないか、と考えたのが申請のきっかけであり、その思いがこのコミュティカフェにつながっています。
「日本語カフェ」の運営はどのようにされていますか?
野場:
「日本語カフェ」については今、10名弱のボランティアグループがあり、そのうちのお一人は日本語を専門的に教えることのできる方です。その方を中心にして周りのボランティアのみなさんがサポートしながら、独自のテキストを作って日本語を教えています。ちなみにインドの公用語は英語とヒンズー語ですが、その他タミル語など地域によってさまざまな言語があります。英語を喋ることで、地域間のコミュニケーションをとっており、英語が話せれば、円滑なコミュニケーションができると思います。
根岸:
霧が丘のインドの人たちは、ヒンズー教の方が多い印象ではありますが、他にもキリスト教や、中には聞いたこともない宗教の方もいらっしゃいます。言葉も多様で、私たちの周りにはタミル語の方が多いですね。正確ではないのですが、日本語をある程度学んで日本に来られている方は感覚的に1割くらいではないかと思います。
日本語を話すことができれば日本の学校にいく選択肢もありますが、多くの方がインドのインターナショナルスクールに通っていることを踏まえると、挨拶ができて日常生活レベルの日本語会話ができる方は1割ほどなのかなと思います。ちなみに旦那さんが日本に仕事で来ており、旦那さん自身は日本語を話すことができるケースはあるので、その奥さんなど日本語を勉強したいという意欲を持っているインド人の方の数も多いのでは、とも思っています。
インドの方々と交流していて彼らの文化の影響と感じること、あるいは、こういう考え方をするんだ、と感じたことなど何かありますか?
根岸:
子どもたちの学ぶことに対するハングリー精神は非常に強いですね。例えば日本語を教えるために「かるた」を使うことがありますが、例えば「あ」といった瞬間に紙がやぶれそうになるくらいにみんなで取り合います。インドのお母さんと話したことがあるのですが、インドではかなり限られた、ごく一部の人しかエリートになれない、お金持ちになれない、といった状況——仕事にしても1人の採用枠に対して5万人がエントリーするなど——なので、なかなか仕事を勝ち取れないし、ずっと仕事をがんばっていないと他の人に仕事をとられてしまう、ということを話されていました。そうした周りの環境の影響を受けて「学ぶこと」や「仕事をすること」に対する取り組み方が違ってくるのかもしれません。
それから、家族の持ち方についても、日本とはとても違っています。インドではまだ「お見合い結婚」が大半で、結婚式で初めて会うということもあるようです。日本では考えられないですよね。親の影響力が強く、親が生まれた星座で相性がいい結婚相手を選ぶことも多いそうです。そして当人たちも、「だから私たちの相性は合うんです」と言い切っています。そういう考え方で、仮にお互いによく知らない相手だとしても結婚して、うまく生活することもできる場合がある、ということですね。どちらかと言えば男性が前に立ち、女性は家のことをするというような日本のちょっと昔の姿に似ているかもしれません。
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カフェ内にはキッズスペースも設置
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カフェの前には野菜も売られている
活動する上で気をつけていること、あるいは活動の基本的なスタンスなどあれば教えてください。それから今回の助成を受けて活動していく中で良かった点などがあればお願いします。
野場:
日々、活動している中でのスタンスとしては「支援する」という感じではなく、「互いに分かり合いたい」「互いに助け合いたい」ということで活動しています。「外国人」という壁を取り払い、互いに一人の人間として、人対人として付き合って課題に取り組んでいます。
助成を受けて変わった点としては、それまでやっていた日本語教室は、「日本語を教えるだけの場」で終わっていて、もちろん、その中でさまざまなことを聞く機会はありました。ただ助成をいただいて始めた「日本語カフェ」は、教室というよりは“居場所”的なスタイルにしたことにより、その中からインドの方のさまざまな考え方や文化を知ることができ、こちらが「教える」だけではなく「教えられる」ことも増えて、フラットな関係づくりに繋がっています。そうした中から相談などもされるようになり、こちらもその相談に応えられるようになっていった、ということもあげられます。
ちなみに民際協力基金の助成事業そのものについて感じたことなどはありますか?
野場:
私たちはいくつもの団体から助成をいただいている訳ではありませんが、こちらの助成事業の特徴かな、と感じたのは3点あります。まず、3年連続の助成継続の後、1年間のお休みがあり、その後また3年継続の助成が可能という点、それから、活動期間が10月から始まり、翌年9月までという点、最後に申請した事業内容の活動を始めるにあたって、先ず半額の助成金が支払われ、事業完了後に残り半額が支払われる、という点も特徴的かと思っています。それから手続きや書類に関してですが、特に気になる点はありませんでした。
これから力を入れていきたい活動や、また民際協力基金を活用された先輩として申請を検討されている方々になにか一言あればお願いします。
根岸:
これから力を入れていきたいのは、今回オープンした、この常設のカフェをきちんと長く続けることですね。スタッフのみんなが準備の段階から人生の大切な時間を使い、多くのエネルギーを注いでスタートしたばかりですが、今はお祭りのような感覚でがんばっています。ただ今後は、気持ち的にもフラットな状態にもっていって、末長くこのカフェを続けていき、地域貢献の場にもなるようにしていきたいです。
さらには、このカフェを長く続けることで見えてくる地域課題もどんどん変わってくるかと思うので、それに対応していけるようになればと考えています。例えば当初は、インドの子どもたちに日本語を教えていたのですが、彼らが日本の小学校に通うようになって、今度は日本語だけではなく「学習支援」も必要になっています。このように課題の変化に伴い解決策も変わってくるので、この常設のカフェを活かしてインドの方たちに長く寄り添っていくことができればと考えています。そのために、この場所も細くても長く続けていければ、と思っています。
野場:
このカフェそのものはヨコハマ市民まち普請事業のお陰で整備することができたのですが、財団の民際協力基金をいただいたことで、このカフェができるまでの間に、それに近い環境を作り出すことができたと思っています。民際の助成事業によって実施した日本語カフェを通して、居場所の「考え方」や「仕組み」も整理できたことが、カフェができるまでの道のりを進んでいく大きな原動力の一つとなりました。
こうしたサポートを頂いたことは、大変ありがたいと思っています。民際の助成事業を検討している方は是非チャレンジしてみてください。