かながわ民際協力基金 助成団体インタビュー
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かながわ民際協力基金インタビューVOL.3

かながわ国際交流財団の「かながわ民際協力基金」による助成金を活かし、県内の在住外国人や世界中の人々へのさまざまな支援活動をするみなさんの思いを伺います。
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ムスリムの女性が日本で安心して生き生きとした暮らしを送るために
Ayase Muslim Women’s Organization(アヤセ・ムスリム・ウィメンズ・オーガニゼーション)
飯島身佳さん 水上ちとせさん
(インタビュー実施日 2021年11月29日(月))


Ayase Muslim Women’s Organizationでは、かながわ民際協力基金52期(2020年度)の助成を受けて「在住イスラム女性達が健康で安心して自分らしい生活を送る為の、同行、訪問支援と交流活動事業」という事業を実施しました。電話やメールを通して、ムスリム(イスラム教を信じている人たち)の女性から質問や相談を受けたり、希望者には直接、家を訪問して相談を受け、必要であれば、病院や市役所等の施設に同行支援を行う活動に取り組んできました。

団体の立ち上げ当初から中心となって活動されている飯島さんと水上さんに、立ち上げたきっかけやムスリム女性たちが抱える生活上の悩み、そして、その悩みにどのように寄り添ってきたのか、といったことなどを伺いました。(写真:右が飯島さん、左が水上さん)


綾瀬市在住のムスリム女性たちの「生活支援」を始めようと思われたきかっけはなんですか?

飯島:
私とパートナーを組んで一緒に活動している水上は、高校の時の同級生で、この会の主要なメンバーですが、私たちは20代のころからイスラムの方と仕事をしてきました。それがイスラム外国人支援の大きな要因のひとつだと思います。それ以来20年以上、支援をしたり交流の場をつくったりしてきました。ただ、それがこの会の立ち上げの直接のきっかけ、ということではありません。

以前はインドとかパキスタン、バングラディシュの方々の支援が多かったのですが、急にスリランカのイスラムの人たちが増えてきており(画像参照:綾瀬市市民活動推進課「統計資料から見る綾瀬市における外国人市民の現状」5頁〔令和3年4月〕)、私たちはスリランカに関する情報や文化のことなども、それまではまったく知りませんでした。ただ、いろいろなムスリムの中でもスリランカの人たちが一番、戒律が厳しいことを知り、スリランカのムスリムの女性たちは、家にこもりがちになり、自分の意志でさまざまなことができないと聞いて、これは団体を立ち上げて支援しないといけないのではないか、と思い「Ayase Muslim Women’s Organization」を立ち上げました。


当初、ムスリムの方々との関わりはどのようなものだったのですか?

25、6年前のことになりますが、当時、私と水上は一緒にインドレストランで仕事をしていました。そのレストランは働く人もお客さんも外国人でした。それが外国人との関わりのきっかけですね。場所は相模原だったのですが、私はそれからも転々といくつかのインドレストランに関わったり、水上はインドのスパイスを売っていたり、と外国人との関りは相当長いですね。逆に日本人との関りの方が少ないくらいでした。

当時は、現在のような「支援」という意味合いよりも「交流」という側面の方が大きかったです。たまに市役所の手続きや幼稚園入園の手続き方法について教えたり、「日本語の通知やお便りを読んで意味を教えて欲しい」あるいは「妊娠した時にどうしたらよいか」といった場面で支援をしていたのですが、ムスリムの女性たちが日本の生活を楽しめてないという印象はそれほど受けていませんでした。みなさんイスラムの戒律にあまり捕らわれずに日本で生活していたようなので、戒律を重視する人たちからは厳しい目で見られていたかもしれません。


イスラム教の戒律が厳しくて思うような行動や活動ができない、といった場合の具体的な例はどのようなものでしょう?

例えば男性に比べ、女性は外出することが良くないこととされています。男性と会ったり、公の場に出て「顔をさらす」「自分をアピールする」こと自体が良くないこととされています。戒律としてもそうですし、彼らの常識としてもそのようなに考えられているのです。ですから日常生活において、買い物やお友達の家に遊びに行くこともなかなかできず、バスや電車にも乗れないといった支障があります。

また子どもを外国から連れてきたり日本で子どもができたりした場合、どのようにして家から出ないでお母さんが日本で子どもを育てていくのか、という問題もあります。お母さんが外に出られないということは、お父さんがその分も子育てをしなければならない面もありますし、また、そもそも子どもをずっと家の中で育てるわけにはいかない、という問題もあります。日本人とは同じ感覚ではないので、家の外に出られないことでストレスが溜まるかといえば日本人ほどではないと思いますが、母国ではお友達とちょっと買い物に行くこととか、家族やお兄さんお姉さんと交流するといったことが日常的にできていたと思います。しかし、日本に来ると核家族になっていて気軽に交流もできない、家族の中に子どもを見てくれる人もいない、ということで彼女たちにとっては非常にストレスになっているでしょうし、女性だけではなく旦那さんも大変だと思います。私たちは女性に特化したかたちで支援をしていますが、旦那さんを助ける時もあります。



活動をしていて思うことは、綾瀬市に住んでいるムスリム女性が特徴的だということです。これは、スリランカのムスリムの方の特徴でもあるのですが、日本でのそれぞれの居住地域に住んでいる人たちは、一つの町から来ている場合が多く、綾瀬市にはアクラナという小さな町から来ている人たちがほとんどです。アクラナは、生活全般にわたってかなり独自性が強い町らしく、その独自性ゆえに綾瀬市に住む他のスリランカの方々が市外に出ていく場合もあります。アクラナの人たちが多くてちょっとコミュニケーションがとりづらい、生活しづらい、ということで、例えば名古屋や千葉に行く人もいるようです。したがってムスリム女性という一般的な括りではなく、独自の接し方を見出していかないと彼女たちに合わないということをとても感じています。


それは、アクラナの人たちがイスラム教の戒律を特別に厳しく守っている方々が多いということでしょうか?

イスラムの戒律だけではなく、「自分たちのイスラムの良いイメージを広げたい」といった気持ちがとても強く、「イスラムの模範は私たちだ」というような感じだと思います。他国のイスラム教徒やスリランカの他の地域のイスラム教徒の人たちとも違う印象です。アラブの方の厳しさともちょっと違い、ただ厳しいだけではなく特色があるのです。それがまた流行りのようなかたちで時期によっても変わってきますし、接する方々の年齢でも違います。

ですから私たちはイスラムの人たちに初めて会った時は、例えば同じスリランカ人でも出身地によって対応の仕方が変わってきますので、「どこの出身ですか」とたずねます。「アクラナです」と言われたら「アクラナの方なのですね」とか、「コロンボ」と言われたら「コロンボの方なのですね」と出身地を確認しているのです。ただアクラナの方々について、普通の日本人が付き合うのは難しいとか、あるいは「こういう人たちです」と一括りでは表現できるわけではありません。一般の人が「付き合う」と言った場合には隣近所に住む一人二人ほどかと思いますが、その場合はその人を見てその人に合わせていればいいと思います。ただ私たちは不特定多数の方たちと付き合うので、柔軟に対応できるよう心がけているのです。


活動はお二人が主要メンバーとして行っているとのことですが、他にボランティアスタッフの方々は何名かいらっしゃるのですか? 常時何名くらいのスタッフで運営されているのですか?

活動の内容にもよりますが、「日本語教室」であれば3~4名のボランティアスタッフが一緒に活動しています。セミナーなどのイベントになればもう少し人数は増えます。活動の内容によってボランティアの数は増えたり減ったりして、ケースバイケースですが、大きいイベントで遠くに行くときは気持ち程度ですが、謝礼として「交通費」一律たとえば500円あるいは1,000円支給というかたちにしています。

それ以外にスリランカの方たちからお家でのパーティに私たちが呼ばれる場合、普段、関わっていただいているボランティアの方々にも声をかけます。パーティにお邪魔するとたくさんのお土産や食べきれないほどのご馳走を振舞っていただくので、そういうかたちでも還元しています。パーティなので食べきれないくらいのお肉や甘いものをいただきますね(写真参照)。ムスリムの方々からも家族のような対応をしていただいています。また、こうした関係を築いておくと、なんでも気軽に相談してもらいやすくはなりますね。


支援しているムスリム女性たちとは、どのようなことをきっかけにして出会うのでしょうか?

私たちが支援活動をしていることは海老名周辺では知れ渡っているようで、また実際にムスリムの方々ともSNSでつながっているので、私たちのことを名前は知らなくても顔は知っているという状況になっています。スリランカの場合は、彼ら自身のネットワークはあるのですが、日本で生活する上での相談場所がなかったようです。

お話したように綾瀬市内ではアクラナという町から来ている人が多いということもあって、一軒のムスリム家庭に訪問したら、そこから訪問先の家族や親せきに一気につながりが広がっていき「こういうことで困っています」とか「うちには子どもがいます」など相談が相次ぎました。ムスリムの女性たちに私たちの支援活動がダイレクトに伝わっていった一つの要因として、私たちが日本語教室を開いていることで、まじめな日本人として信頼してもらえたことがあるかと思います。

水上:
支援に関する情報を求める入口として「日本語教室」が果たす役割は大きいですね。学習者である旦那さんからのつながりで家を訪問するときなども、家族に対して私たちのことを「日本語の先生」という言い方で紹介していますね。日本語教室は私たちの支援活動をするためにも継続していった方が良いのは間違いないです。


ムスリム女性たちの日本語のレベルはどの程度のものでしょうか? 例えば「こんにちは」が言える日常の挨拶はできるのでしょうか?

飯島:
ムスリムの女性たちは、たいてい来日時はまったく日本語を喋ることができない状態であり、「こんにちは」も知りません。2018年に女性だけの日本語教室を始めた時に10人ほどのムスリムの方が来られて、私たちも全員はじめてお会いしたのですが、日本にきて5年、長い人だと8年滞在している方々でも「こんにちは」や「ありがとう」が言えない方がいたのです。もちろん子どもさんたちも日本の学校に通っています。

今まで日本でどのように生活して来られたのか、と思いましたし、「有難う」も「こんにちは」も知らないで生活できていたとことが驚きでした。日常生活を送る上ではスーパーへの買い物など日本語が最低限必要な場面はあったかと思うのですが、日本人と関わっていなかったことや、日本人と関わることを旦那さんに許されていなかったということもあるのか、さまざまな要因で、滞在していた5年とか8年の間に日本語を学ぶ機会がなかったのだろうと思いました。それまで付き合いのあったイスラムの方々とは日本語に関する習熟度はまったく違っていました。日本語教室を始めた当初から、状況としては大変厳しいものでした(写真は最近の日本語教室の様子)。

一方、男性は、車の輸出入の仕事をしている場合も多いのですが、そうした業種では、売り買いの交渉を直接日本人とする必要があるので、ビジネス上の日本語には柔軟に対応できていると思います。

水上:
また奥さんよりも旦那さんの方が、子どもの通う学校の先生と関わるので、そういう面でも日本社会とのかかわりは多いです。日本の男性よりも学校とのかかわりは多いのではないでしょうか。それから、工場勤務をしている方よりは自分でビジネスをしている方は、その分いろいろな手続きが必要となって市役所に行くことも多いので視野が広いという印象は受けます。もちろん日本語の能力は人それぞれですが、日本語を耳で覚えている場合が多く、ペラペラに話せるけれども読み書きはほとんどできない、という傾向はあります。読み書きについてはお金を払って誰かにやってもらおうということのようで重視していませんね。経営者なのでコミュニケーション力は高く、たくましいです。


昨年(2020年)、新型コロナウイルス感染症拡大がピークだった頃、ムスリムの女性たちが一番困ったことはどんなことでしたか?

水上:
当初は、マスクや除菌のアルコールが買えないことが課題としてありました。ですからインターネットで買える先を探しましたが、彼女たちは本音を言えばアルコールは使いたくないので、代わりになるものとしてはなにを使ったらいいか?などの質問がありました。それに加え「彼女たちはネットで得られている情報が本当かどうか?」をすごく不安に感じていました。女性は特に外に出ないので、いろいろな情報が得られないし、情報を得るとしたら人づてに聞く噂やインターネット経由となりますが、日本の情報についてはざっくりしたことしかわからないのです。自分たちで日本における新型コロナの状況を確かめることができないのがとても不安だったようです。

飯島:
それで今まで以上に、より一層外に出なくなり、子どもには学校を休ませるなど過敏に反応する人もいました。家庭によっては日本の男女混合の公立の学校に通わせる家庭もある一方で、インターナショナルスクールに通わせている方々も多いのですが、そのインターナショナルスクールが1年間オンライン授業だったのです。その間、ご主人は夜の8時、9時にならないと帰ってこないし、場合によっては土日も仕事に行くような状況の中で、スリランカの家庭は子だくさんのところも多いということもあり、子どもたちが一日中家にいることで奥さんたちは相当なストレスを受けていたようです。人によっては、皮膚病や、体調不良になり病院に行きたいがどうればよいか、といった問合せも増えました。

彼女たちにとっては日本語教室に1週間に2回通えていたことがストレス解消に役立っていたのですが、日本語教室もこの期間はお休みにしたので(当時は、日本人も無駄な外出を控えるように言われていました)、外に出られないストレスはかなりのものだったようです。




コロナ対応として無利子で国から借りられる「緊急小口資金」の制度等も活用されたのでしょうか?

飯島:
その制度も活用し手続きにあたっては支援もしましたが、いずれにしろ、それは一時的なものです。特にスリランカ人の場合は、奥さんが旦那さんの収入を補う為のアルバイトができないこと、旦那さんもビザの関係で入国時に取得した就労ビザの仕事しかできないところが日本人と違い、難しい課題としてあげられます。現在、コロナ支援対策として就労ビザで決まっている職種以外でも就労可能となっているのですが、それを申請した人がなかなかおらず(その申請についての相談も受けているのですが)、そのあとのビザの更新のことをみんな恐れていて、気軽に申請できないでいるのが現状です。また、これまで日本人の会社で働いたことがないので「どこでもアルバイトができますよ」と言われても自信がないなどの事情もあるようです。


今のところ、コロナ感染拡大も一段落した感はありますが(インタビューは2021年11月に実施)、ムスリムの女性たちからはどのような相談が多いですか?

飯島:
現在は、日本では出国規制が緩くなってきたので、突然母国に帰国するムスリムの方々が多いです。母国に帰る人たちが増えたせいなのかどうかはわかりませんが、インターナショナルスクールがこの12月から1か月半の間、お休みになりました。この11月末から12月に帰ろうという人が数多くいる一方で、残っている人たちの相談としてはワクチン接種に関することが多かったです。それぞれの国の人たちでさまざまな背景があり、イレギュラーなコロナ予防ワクチンの打ち方の相談が多かったですが、それもだいぶ落ち着いてきました。

今は、新しい予約が入れられないので「すぐ打ちたい」という相談が一週間に2件ほど来ます。現状では海老名市も厚木市も綾瀬市も新型コロナワクチン接種は止まってしまっており、11月末ぐらいに新規の予約受付が終了しているので、こうした相談が増えていますね。国に帰るので打ちたいという相談もありますが対応できない状態なので、もう少しいろいろと調べて、接種できるところやキャンセル待ちで受け付けてくれるところがあればと思います。

水上:
ワクチン接種の件は落ち着いてくると、そもそもの問題がまた出てくるようになります。例えばムスリムの子どもたちの高校進学についてなどの問題です。またスリランカの方々は車の輸出入をしている方々が多いのですが、現在スリランカもコロナは落ち着いている一方で、ビジネスができる状態ではなく、スリランカと日本とのトレードができない厳しい状況が続いています。そのため借りられるローンはあるか?、あるいは、もうちょっと安いアパートに引っ越したいが子どもが多いので3LDKか4LDKくらいの物件はあるのか?といったような収入減によるさまざまな相談が増えています。奥さんたちも外でアルバイトはできないので小さいビジネスを始めるなど内職で自分たちにできることを見つけて始めているところです。




かながわ民際協力基金を知ったきかっけについてお伺いしたいと思います。

飯島:
もともとは財団の存在やこのような「基金」があることを知らなくて、かながわ国際交流財団の職員を何かのご縁で知ることになり、職員の方から連絡をいただき、私たちの活動が単なるムスリムの人たちとの交流レベルにとどまらず、彼らの家の訪問をしたり、病院や市役所に付き添っていく支援活動をしているのを見て「民際協力基金」という助成金があるから使ってみたらと勧めてくださいました。実際に申請にあたっても職員の方がその方法を詳しく教えてくれました。

水上:
それまでの私たちの活動は、企業や他の団体の方と連携したものではなく、どちらかというと私たちが好きで支援活動をやっているような感じがあったのです。それだけの活動だった訳です。それがこういう助成金があるよと教えられて、まずは公のところに出なければいけないというプレッシャーのようなものも感じましたし、私たちの活動を認めてもらうために文章を作り書類にすることも最初はとてもハードルが高かったです。申請する金額によってなにかやるというよりは、やはり公のところに進出するという気持ちの方が私は強かったですね。

飯島:
結局助成金20万円を貰おうと貰わないと、私たちは支援活動をこれまで通りに自分のお金を持ち出して継続していくのです。ただ助成金はもらえたらすごく楽になります。確かにガソリン代になったり通信費になったり、ボランティアをお願いする人にも交通費等を支払うことができるので頼みやすくなります。そのように活動が発展していくことで、今まであまり関わってこなかった世界にちょっと踏み出していく感じが私としては嬉しくもあり、また反対に緊張というか、きちんとやらなければという思いも一方で強くなりました。

水上:
さらに言えば「民際協力基金」の助成金を使って活動して、かながわ国際交流財団との関係ができてくることで、財団からまた違うオファーが来るのもありがたいことです。「財団のセミナーで団体紹介をしてください」とオファーを受けて参加することで、周りの方も支援団体として認知してくれるようになります(2021年9月開催の多文化共生セミナー〔画像参照〕にて団体を紹介)。そのように認知してくれると、活動していく上でとてもプラスの効果があるのだな、と後からわかりました。


申請にあたって書類の作成作業が初めての方々にとっては高いハードルとなっているかと思いますが、いかがでしょうか。

飯島:
1回目が本当に大変でした。この助成は外国人団体の方も対象となることを踏まえると、書類作成の作業はとてもレベルが高いと思います。ただ1回通れば、2、3回目は割と作業も慣れてきますが、この民際協力基金で初めて決算書類の作成をしました。その経験があったので、他の違う機会で決算するときにも自信はありましたし、実際のところ役にも立ちましたね。ですから最初は大変でしたが結果的には良かったと思います。

ただ決算処理にあたっては不便な面もあります。「決算書類」に添付するさまざまな「領収書」についてですが、私たちの団体は結構、自費負担している部分も多く、普段はなるべくお金をかけないように印刷はなるべく裏紙を使用して、自宅のプリンターで印刷しています。そうした自前で印刷している場合には、領収書がないので経費処理できない、ということになります。活動にあまり経費がかからないように備品を不要な人からもらったりするのですが、そういうものが経費処理の対象から外れたり、また例えばコンビニで出力した印刷費の領収書が個人名だと受理されないので、そういう点も融通がきくとありがたいと思います。特に外国人が活動している団体では正規の領収書をもらうのは、結構ハードルが高いと思いますので。

また、助成事業の枠組みとして、いきなり20万円のコースから始めるのではなく、最初はトライアルコースとして5~10万円ほどの限度額で、かつ申請や決算がもう少し負担のないかたちにした枠を設けるのもよいかと思います。初めての人はそこから徐々にステップアップしていくということでもよいのではないでしょうか。

水上:
私は、このAyase Muslim Women’s Organizationの他にもうひとつ、ラオス人が中心の団体を立ち上げていましたが途中で立ち消えてしまいました。名目上は私が代表というかたちをとりましたが、いろいろなことを決め実行するのは外国人が中心でした。外国人が中心となって最初に企画を立てて、その通りに実行するというのは本当に難しいことです。もし融通を効かせてもらって、あとから「これもやりました、あれもやりました」と伝えるかたちであれば実行しやすいのですが、「最初に企画したことをそのままやれるようにがんばってください」と言われて作業をするのは大変ですね。

それから、助成が3年連続したら翌年は申請できない、という枠組みになっているので、その1年はどうしたらいいのかという感じになってしまいます。3年間連続して20万円ほどのお金をもらっているとそれありきで動いてしまい、それがあるから、ということでできる催しが4年目にはできなくなってしまいます。その費用の捻出はこちらで考えなければなりませんが、でも可能であれば継続的に支援していただけると助かります。


助成金を受けることで自分たちの活動が知られていく、というお話がありましたが、その他に助成金を受けてよかったと思われることはありますか?

飯島:
今までは、普段の活動の中で何かわからないことがあるとWebサイトで調べたりすることが多かったのですが、2回、3回と民際協力基金申請に伴い財団職員の方々とお会いすることが多くなり、自分たちではどうしても解決できないような問題があった時に相談させていただくようになりました。

そうした時にピンポイントのお返事をいただけるので、それがまた支援につながることがあります。そういう人脈ができたことはお金に換えられない価値があるものです。今回が連続3年目の助成だったので、4年目は20万円が貰えなくなりますが、こうした財団職員との人脈や関係は続けていきたいと思います。以前、関わっていただいていた職員の方も含めて時々相談にのってくれるのがとても心強く、また大きな財産になっています。これは「民際協力基金」に申請し、助成金をいただいて活動していく中で初めてわかったことですね。


今後の活動について、どのように発展させていきたいとお考えでしょうか?

水上:
いままでは「交流」や「楽しむイベント」が主な活動だった面がありました。もちろん、それもイスラムの人たちとの交流や、近くに日本人の住む方々の距離を縮めるということで大事だと考えています。ただ、活動が少し広がってきて周りの人たちにも認知してもらい、さまざまなお話もいただくようになったので、行政との連携によってできることも考えていきたいと思います。12月に財団と一緒に開催する高校進学をテーマとした社会制度セミナーについても、私たち二人だけでは決してセミナーを開くことはできなかったし、そもそも仮に企画しても講師は誰を呼んだらよいのかもわからなかったです(2021年12月開催の社会制度セミナー〔画像参照〕にて団体として協力)。このような私たちだけではできないような活動をもっと充実させていければと思います。

飯島:
これまで助成金をいただいて活動してきた中で、「かながわ国際交流財団」のことを知り合いの外国人の人たちも認識してくるようになってきました。実際に彼らが財団に何か相談するかどうかは別なのですが、Kanagawa International Foundationという団体が存在していることの認知は少しずつ広がってきていると思います。今回の社会制度セミナーも財団との共催というと外国人の方も「あのKanagawa International Foundationですか」と認識しているようです。 チラシ等でみるよりも私たちのダイレクトな活動を通した方が外国人にとってわかり易いし、浸透しやすい面もあるのかもしれません。実際に私たちがかながわ国際交流財団に行った時にも数人の外国人がついてきて場所の確認もされていました。今後も助成金の活用に加えて、その他セミナーなどで協力していくことで、活動も発展させていければと思います。
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